消灯と共に始まる夜の戦い。大運動会とでも言おうか。
とにかく寝ない。暴れる。布団に戻しても、気づけばまた何かが始まっている。寝る場所が気に入らないのか、布団の配置が気に入らないのか。こちらとしては、頼むからもう寝てくれ、という気持ちでいっぱいである。
寝かしつけが終わったらブログを書こう。ポイ活をしよう。
そんな予定を立てていても、思うだけで終わる夜が多々ある。
ようやく寝たと思ったら、こちらも疲れ果てている。ブログを書くどころか、スマホを握ったまま動けなくなることだってある。
自由時間とは、いったいどこに存在しているのだろうか。
予定していた自由時間などないと心得よ
大人の予定どおりに子どもは動いてくれない。
当たり前のことではある。子どもには子どもの都合があるし、親が「もう寝る時間だよ」と言ったところで、本人がその気にならなければ話は進まない。
それでも、寝かしつけが終わった後の時間をあてにしてしまう。
子どもが寝たら、あれをしよう。これをしよう。
そう考えているうちに、やりたいことがどんどん積み上がっていく。
しかし、現実には予定していた時間が丸ごと消えることもある。
ブログの記事を書こうと思っていたのに書けなかった。ポイ活の案件を確認しようと思っていたのに、何もできなかった。
そして翌日、また同じように考える。
やりたいことを後回しにすると、いつまでも手をつけられない。
自由時間ができることを前提に予定を立てていると、自由時間ができなかった日に、何も進まなかったという結果だけが残る。
なかなか厳しい話である。
だから、スキマ時間を活用している
私がポイ活を続け、ブログを書いているのは、まとまった時間を確保できなくても取り組めるから、という理由も大きい。
アンケートに回答する。ポイントが貯まる案件を確認する。ブログの記事の構成を考える。思いついたことをメモしておく。
もちろん、どれも際限なくできるわけではない。案件によっては時間がかかるし、ブログの記事を一本仕上げるには、それなりの集中力も必要だ。
スキマ時間だけですべてが解決するわけではない。
それでも、まとまった時間ができるのを待っていたら、いつまでも始められないことがある。
だから、できるときに少しずつ進めておく。
ほんの少しでも前に進めていれば、何もできなかった日とは違う。
……と、ここまで書くと、いかにも時間を有効活用している人のようだが、実際には寝かしつけに敗北して何もできない夜も普通にある。
毎日きちんと積み上げられるほど、人間は強くない。
少なくとも、私はそうである。
お金も時間も、使えるときに使うのが難しい
これは、お金にも少し似ている気がする。
ポイントを貯める。配当金を受け取る。株主優待を手に入れる。
そこまではできても、実際に使うとなると、また別の話になる。
せっかく貯めたポイントを使わずに期限が迫っていたり、株主優待を使う機会を逃してしまったり。お金を増やすことと、それを自分の生活に活かすことは、必ずしも同じではない。
時間も同じだ。
自由時間を確保できたとしても、疲れていれば何もできないことがある。やりたいことがあっても、実際に取り組めるとは限らない。
そして、使わなかった時間は、ポイントのように翌日に繰り越せるわけでもない。
もちろん、休むことも大事だ。何もできなかった夜を、すべて無駄だったと考える必要はない。
ただ、やりたいことがあるのなら、いつか時間ができるのを待つだけではなく、できる範囲で手をつけておくのも悪くないと思う。
ポイ活もブログも、そうやって少しずつ続けてきた。
今夜も予定どおりにはいかない
理想を言えば、子どもがすんなり寝てくれて、その後にブログを書いたり、ポイ活をしたり、自分の時間をゆっくり楽しんだりしたい。
しかし、現実はそう都合よくいかない。
消灯した瞬間に始まる大運動会。布団の中で始まる謎のこだわり。何度目かわからない寝かしつけ。
こちらの予定など、あってないようなものだ。
それでも、できるときにできることをやる。
今日は記事を書けなかったけれど、昨日は書けた。今日はポイ活ができなかったけれど、別の日に取り組めばいい。
毎日完璧にこなせなくても、続けていくことはできる。
そう考えれば、少しだけ気が楽になる。
……とはいえ、今夜こそはすんなり寝てほしい。
私にも、自由時間というものを味わわせてほしいのである。
寝かしつけが予定どおり終わらないのも、人生の仕様なのかもしれない。
でも、せめて消灯後の大運動会だけは、そろそろ閉会していただけないだろうか。
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