投資を始める前は、もっと刺激的なものだと思っていた。
毎日チャートを見て、
上がった下がったで一喜一憂して、
タイミングを読んで売買して、
ニュースを真剣に追いかける。
なんとなく、そんなイメージがあった。
でも実際に少額で積立投資を始めてみると、思っていたよりずっと地味だった。
というより、
「これ、本当にちゃんと投資してるのかな?」
と思うくらい何も起きない。
毎日爆増するわけでもない。
突然資産が倍になるわけでもない。
気づいたら少し増えていて、またしばらく忘れる。
でも、その“地味さ”が逆に自分には合っていた。
積立設定すると、本当にやることがない
投資信託って、積立設定してしまうと驚くほどやることがない。
毎月、自動で積み立てられていく。
終わり。
もちろん、毎日確認しようと思えばできる。
でも実際には、そんなに大きく動かない日がほとんどだ。
少し増えて、
少し減って、
また戻る。
最初の頃は、それが少し物足りなかった。
「投資している感覚」が薄い。
でも最近は、その“何も起きなさ”がかなり心地いい。
生活が振り回されないからだ。
評価損益を見ることを忘れている
投資を始めたばかりの頃は、結構アプリを開いていた。
今日は増えてるかな。
減ってるかな。
なんとなく気になって見てしまう。
でも最近、自分でも少し面白いなと思うことがある。
評価損益を見ることを忘れているのだ。
毎日見なくなった。
というより、存在を忘れている日が普通にある。
思い出した時に、
「あ、そういえば」
くらいの感覚でアプリを開く。
そして、
「ちょっと増えてるな」
と思って閉じる。
たぶん、自分にはこの距離感が合っていた。
「毎日見ない」のも才能かもしれない
投資系の話を見ていると、
「長期投資は気絶して放置」
みたいな言葉をたまに見かける。
最初は冗談かと思っていた。
でも実際、積立投資って“忘れられる人”の方が向いている気がする。
毎日見すぎると、小さな上下で気持ちが揺れる。
「減ってる」
「今売った方がいい?」
みたいに考え始める。
でも、長期前提なら本来そこまで毎日気にする必要はない。
もちろん完全放置というわけではない。
でも、
“生活の中心にしない”
くらいの距離感は大事なのかもしれない。
高配当投資は、“ちょっとイベント感”がある
一方で、私は高配当投資も少しやっている。
こちらは投資信託とはまた違う面白さがある。
配当金が入ると、やっぱりちょっと嬉しい。
通知を見ると、
「お、小遣い入ってる」
みたいな感覚になる。
もちろん金額としてはそこまで大きくない。
でも、自分のお金が少し働いてくれた感じがして面白い。
投資信託が“静かに積み上がるもの”だとしたら、高配当投資は少しイベント感がある。
たまにご褒美が届く感じ。
この感覚は結構好きだ。
でも、いちばん存在を忘れているのは投資信託
ただ、不思議なことに、いちばん自然に続いているのは投資信託の方だった。
高配当株は、
「今月配当あるかな」
と少し気になる。
でも投資信託は、本当に静かだ。
存在を忘れている。
気づいたら積み上がっている。
それくらいの温度感。
でも、その“静かさ”が生活に馴染みやすかった。
ちょっと、ポイ活にも似ている
最近思うのは、積立投資って少しポイ活に似ている。
毎日一気にお金が増えるわけではない。
でも、
- 小さく積み上がる
- 習慣化する
- 気づいたら増えている
という構造がかなり近い。
しかも、どちらも「頑張りすぎない方が続く」。
ポイ活も、毎日完璧に案件を追い続けると疲れる。
積立投資も、毎日チャートを見続けると疲れる。
だから、自分には“少しゆるい距離感”が合っていた。
投資信託って、「生活に溶ける」
個別株や仮想通貨みたいな大きな刺激はない。
でも、生活に自然と溶け込む感じがある。
家計簿ほど真面目ではない。
でも、
「未来の自分に少し送金している」
みたいな感覚はある。
毎月、
「今月も積み立てられたな」
と思う。
それだけ。
でも、その“それだけ”が意外と続く。
地味だから、続く
たぶん私は、投資に強い刺激を求めていなかった。
むしろ、
- 生活を壊さない
- 気持ちが乱高下しない
- 無理なく続けられる
こっちの方が大事だった。
だから、投資信託の地味さがちょうど良かった。
毎日ドラマは起きない。
爆増もしない。
でも、気づいたら少し積み上がっている。
そして、そのくらいが今の自分には合っている。
投資信託って、
「人生を一気に変えるもの」
というより、
“生活の中で静かに続いていくもの”
なのかもしれない。

